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広島高等裁判所 昭和53年(う)59号 判決

主文

原判決中、判示第一の強姦の点につき懲役を言い渡した部分および訴訟費用を被告人の負担とした部分を破棄する。

公訴事実中、右判示第一の強姦の点については被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は弁護人恵木尚作成の控訴趣意書記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。

控訴趣意第一点について

論旨は要するに、被告人は被害者を姦淫するに当り、被害者に対し、反抗を著しく困難にするような暴行、脅迫を加えていないのに、原判決が強姦と認定したのは、誤って有罪判決をした事実誤認があるから、破棄のうえ無罪の判決をされたいというものである。

よって、記録を精査し、当審における事実調の結果をも加えて検討するに、

一  原判決挙示の関係各証拠、司法巡査作成の捜査状況報告書、証人広島花子に対する当裁判所の尋問調書(以下、便宜「当審における証人広島花子の証言」として記載する。)、被告人の当公判廷における供述を総合すると、次の事実を認めることができる。

1  被告人は、昭和四一年にK大学を卒業後、高等学校の教員等をした後、昭和四八年ころから肩書住居地で新聞販売業を営んでいたもので、妻と子供三人を有する身であるが、かねてから、○○郡△△町で新聞販売店を営んでいる広島花子(昭和一三年二月一五日生)に思いを寄せていた。右広島花子は昭和四九年に夫に死亡され、毎朝新聞配達を終えた後、事務員として働きながら子供二人を養育していたもので、昭和五二年二月一一日はたまたま長男の大学受験の当日にあたっていた。

2  被告人は、同年二月一〇日の夕方、友人の乙山和夫と○○郡△△町内で酒を飲み、午後八時前ころ帰途についたが、前記広島花子に対し、日頃からの恋慕の情を打ちあけようと思いたち、事情を知らない右乙山をして同女に対し、公衆電話で、「今晩、新聞の寄り合いがあるから来て下さい。」などと嘘を言わせ、「明日は長男の受験があるし、バスの便もないから。」と言って出しぶる同女に、更に、「三〇分でいいです。これから迎えに行くし、帰りも送ります。」などと言葉巧みに告げさせたうえ、右乙山をして軽四輪貨物自動車で同女を迎えにやり、前もって被告人が待機していた○○郡△△町字××地区から北方約八〇〇メートルの、近隣に人家のない海岸沿いの広場に連れ出させた。

3  そして、右乙山を同車から遠ざけた後、更に同車を右広場にある砂山(高さ約四・五メートル)の陰に移動させたうえ、午後八時過ぎごろから、同車内において、「今日は寄り合いがあるんではないんですか。」と問いただす同女に対し、「嘘を言うて呼び出してすみません。」、「以前からあんたが好きだった。今日は思い切って話をしたい。」と言って、自己の経歴等を話すとともに、日頃の同女に対する恋慕の情をうち明け、その間には、「あんたを殺して、わしも死んでもええんじゃけ、死んでくれるか。」と告げるなどして、心底から同女に恋い焦がれている気持を吐露し、同女がなびいてくれるように口説いて、少くとも三〇分以上を過した。そうするうち、同女が「明日子供の入学試験があるので、帰らせて欲しい。」と言い、被告人が「それでは今度電話したら出て来てくれるか。」と聞くと、「そりゃ、わからんわいね」等とあいまいな返事をしたので、ここに被告人は、この機会を逃すと同女と性交することができずに終るだろうから、この際なんとかして同女と性交してしまおうという気になり、なおも「頼むわいね、欲しいんじゃけん。」と言って口説きながら、左手を同女の肩にかけて引き寄せ、唇を同女の唇に押しつけるようにしながら、同女を運転席台に倒し、床に中腰になって同女の上体に覆いかぶさるような姿勢で、同女の上衣をあげて乳房を吸ったりしたが、そのころから同女は泣き出し、「やめてくれ、帰らせてくれ。」と言ったが、被告人はなおも同女のスラックスのチャックをはずし、下着とともに同女の足許まで下げ、自らもズボンや下着を脱ぎ、同車内で同女を姦淫した。

4  同女は、その後被告人に前記自動車で送られて帰宅し、身体を洗った後、隣に住む弟の家に赴いて泣き伏し、被告人から「逃げたら殺してやる。」と脅されて強姦された旨を告げ、翌日、警察に出頭して被告人から強姦された旨の告訴に及んだ。

5  同女は身長約一五二センチメートル、体重約五二キログラムで、被告人は身長約一八〇センチメートル、体重約七六キログラムであって両者の体躯には大きな隔りがある。

二  右に認定した事実のうち、被告人が乙山をして広島花子を呼び出させてから、被告人が同女を姦淫したまでの2、3の事実は、原判決もその「罪となるべき事実」において同よう認定している点であって、原判決の事実認定はその限度において相当であるとして肯認することができるところ、原判決は、その判示において「強いて同女を姦淫しようと企て、にわかに同女を同車の運転席台に押し倒し、泣き叫びながら『帰らして、やめて。』と哀願する同女の着衣をはぎとり、同女に覆いかぶさるなどの暴行を加え、もって同女の反抗を抑圧し、強いて同女を姦淫し」たとして、被告人の姦淫行為を強姦と評価しているのである。しかし、その判文上には、格別の脅迫行為があったとも、殴打等の強力な暴行が加えられたとも認定されておらず、姦淫前の被告人の行動としては「にわかに同女を押し倒し」「同女の着衣をはぎとり」「同女に覆いかぶさる」ことが暴行に当るとされているにとどまっている点から推察すると、原審としては、右の被告人の行為のほかに、原判決中に詳細に認定されている本件行為当時の時刻、現場付近の地理的状況、本件が軽四輪貨物自動車内の狭い運転席台上で行なわれていること等に加えて、被告人及び被害者の年令、境遇、経歴、体力等前記一の1、4、5に認定した具体的な諸事情をも総合して判断したものと思料される。

三  ところで、刑法一七七条にいわゆる暴行または脅迫とは、相手方の抗拒を不能にするほどでなくとも、著しく困難ならしめる程度であれば足りるのであり、それに該当するかどうかは、単に暴行または脅迫行為のみを捉えて考察するのではなく、被告人および被害者の年令、経歴、体力ならびに当該行為のなされた時間、場所等諸般の具体的事情一切を総合して判断すべきであるから、同ようの総合的判断を行なったと思料される原判決の推論は、それなりに十分評価できる。特に前記一で認定した事実によると、被害者は夫に死亡された後、一家の支柱として働きながら子供二人を養育している婦人であって、子供のためにもひたすら身の安全を願う気持が強かったであろうことは本件行為当時被告人と応酬した被害者の言葉のはしばしから容易に推察されること、被告人と被害者との体力の相違からして、被告人は僅かな力で被害者に対する情欲を遂げることができたと思われること、本件行為は夜間に、車で人里から遠く離れた場所に連れ出したうえ、狭い車内でなされたもので、被害者が同所から逃走したり、救助を求めることは容易でなかったと思われること、被害者は泣きながら、「やめてくれ、帰らせてくれ。」と哀願していること、被害者は弟に対し「逃げたら殺してやると脅された」旨話した模様であり、翌日被告人を告訴していること等を総合すると、被告人の姦淫行為は、被害者の任意の応諾に基いてなされた和姦であるとは到底いえず、被害者があくまで抵抗しようとはしなかったものの、もとより進んで身を許す気持にはならず、困惑しながらある程度拒み難い状態下においてなされたものであることは疑いないといえる。それだけに、被害者は被告人に対し、口惜しさと憤りの念を抱き、被告人の行為を黙過しえないと感じたものであろう。原判決は、被害者をしてかかる心理状態においたうえ、自己の欲望を満足させた被告人の本件行為を、強姦罪に該当すると判断したものと理解されるのであるが、しかし、原判決の右結論を支持するにはなお躊躇せざるをえないものがある。すなわち、およそ男性が、座っている女性を仰向けに寝かせ、性交を終えるについては、男性が女性の肩に手をかけて引き寄せ、押し倒し、衣服を引きはがすような行動に出て、覆いかぶさるような姿勢となる等のある程度の有形力の行使は、合意による性交の場合でも伴うものであると思料されるところ、前記認定の姦淫の過程において、被告人が右通常の性交の場合において用いられる程度の有形力の行使以上の力を用いたと断ずるまでの証拠は見出し難く、狭い運転台に寝た状態にある被害者の下着を脱がせた際にも、それが破れるようなことはなかったこと、後述のように、姦淫の前後にわたって被告人が脅迫的言辞を用いたとの点は認め難く、被害者も積極的に逃げようという行動を具体的に示していないこと、更に、原審および当審における証人広島花子の証言および被告人の供述によって認められるとおり、被告人は、被害者を運転台に倒し、同女の上体に覆いかぶさるような姿勢をとっている際、同女が「苦しいから、まって。」と告げるや、すぐに同女から体を離し、車の窓をあけて少時の休憩をとっていること、性交中、同女が、頭がドアにつかえて痛みを訴えるや、同女の体をドアからずらしてやっていること、被告人は接吻する際「広島さん、口をあけてえや」といい、交接前には「広島さんが帰らしてくれ帰らしてくれいうから立たんわいね」ともいっており、むしろ平穏に性交しようとしているかの発言をしていることが認められること等の諸点をもあわせ考えると、本件姦淫が、被害者の抗拒を著しく困難ならしめたうえでなされたと認めるには足りないものがあるといわざるを得ず、結局その心証を得るまでに至らない。

そうすると、反抗を著しく困難にさせたうえ姦淫したと認定した点において、原判決は事実を誤認したものといわなければならない。

四  しかし、検察官は当審において、別紙公訴事実のとおり訴因を変更し、被告人は広島花子に対し「逃げたら、あんたを殺してわしも死ぬ。」、「自分が思うたことはどうしてもする。」などと言って脅迫し、被害者の「身体を押しまげるようにして」覆いかぶさる暴行を加えた旨、当初の公訴事実に掲記されていなかった事実を主張するので、この点についてさらに検討すると、原審および当審における証人広島花子の証言中には、被告人から、右のような脅迫文言を告げられ脅された旨の証言部分があるけれども右証言部分は、次に述べるように必ずしも信を措き難い。すなわち、

1  右証言のなされた過程をみるに、原審における検察官の主尋問において

問 「口丈けもってきてキッスをしようとしたのですか。」

答 「抱きついてきました。」

問 「その時、甲野はあなたに対してどういうことを言いましたか。」

答 「忘れました。」

問 「検察庁では『甲野は、わしは絶対思うとおりにするんじゃ、わしのものにするんじゃと言いながら抱きついてきた。』と言っておられるのですが、そのとおりですか。」

答 「はい。」

(中略)

問 「逃げたら殺すぞ、と言われたことはありませんか。」

答 「判りません。」

問 「検察庁では『逃げたら殺すぞ、と言われた。』とあなたは言っているのですが、記憶にありませんか。」

答 「あります。」

右のように、いずれも誘導に基づいてなされた証言であるばかりでなく、弁護人が、「先程、殺すという話が出ましたが、それは何時の段階で出たのですか。肩に手をかける前ですか後ですか。」との問に対しては、「覚えておりません。」と答えたり、或は黙して答えなかったりし、また、「逃げようと試みたことはないのではないですか。」との質問に対して、「あります。」と答えながら、「どういう段階で逃げようとしたのですか。」との質問には、黙して答えず、当審においては、結局、逃げたいとは思ったが、具体的に逃げようとするような動作は示さなかった旨の証言に変っている。

2  同証人の原審および当審における証言によると、被告人が同女に対して身上話や恋慕の情を打ちあけている間には、被告人は同女を「広島さん」と呼び、その話し振りも普通で、険悪な様子はなかったことが認められる。

3  同証人は原審および当審において、被告人がキッスをしようとした以後の行為に対しては抵抗した旨証言しているが、その具体的内容を問われると、結局、キッスをされまいとして顔をそむけ、口をつむり、被告人の手を払いのけようとしたという程度のものを答えるに過ぎない。

以上のように、同証人の証言は、容易に記憶が失われることはないと思われる重要な点について、記憶があいまいであったり、証言内容が変ったりしているうえ、同女は具体的に逃げようといった行動や激しい抵抗をしていないと認められるのであるから、被告人が前記脅迫文言を告げる必要性は乏しかったことに加え、被告人は捜査官の取調段階から当審における供述に至るまで終始右脅迫文言を告げたことを否定していること等を総合すると、同証人は、被告人が前記恋慕の情がいかに激しいかを打ちあける言葉として「あんたを殺して、わしも死んでもええんじゃけ、死んでくれるか。」といったのを脅迫文言を告げられたように感じ取り、その趣旨を取り違えて証言しているのではないかとの疑いが残る。そして前記三の点をも併せ考慮すれば、被害者の「身体を押しまげるようにして」覆いかぶさったとの点も、狭い車内での性交としては当然の姿勢であって、これを直ちに暴行と見ることは疑問といわざるをえないから、当審において変更された訴因についてもその証明は不十分であるというほかはない。

五  右のとおり弁護人の論旨は理由があり、原判決は破棄を免れないところ、検察官が当審において変更した訴因についてもその証明がないから、その余の控訴趣意(量刑不当)について判断するまでもなく、刑事訴訟法三九七条一項、三八二条によって、原判決中判示第一の強姦の点につき懲役刑を言い渡した部分および訴訟費用を被告人の負担とした部分を破棄し、同法四〇〇条但書によって更に判決することとし、公訴事実中の強姦の点(別紙のとおり)は既述のとおり犯罪の証明がないことに帰するので、刑事訴訟法三三六条によって主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 竹村壽 裁判官 谷口貞 出嵜正清)

〈以下省略〉

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